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小島貞二展市川文学プラザで開催

市川市文学プラザ小島貞二展  市川市文学プラザ小島貞二展 裏
亡父、小島貞二の七回忌の法事を6月にすませた。月日の経つのは早いものだ。
今年10月24日から来年2月28日まで千葉県市川市文学プラザで「小島貞二の世界」展が開催される。略歴は別の機会に譲るとして、主に寄席演芸と相撲の世界を中心にモノを書いてきたのだが、最晩年は朝日新聞千葉版で「千葉笑い」という川柳やコントなどの笑文芸のコーナーを持っていた。
この「千葉笑い」は現在も遠藤桂三、神津友好両氏によって引き継がれている。
展示会では、亡父の足跡とともに、相撲や寄席に関するライブラリーなどを紹介する。
四ヶ月の長い期間の展示会なので、是非一度のぞいていただきたいと思います。
なお、晩年の弟子であった古今亭菊ノ丞我出る記念寄席も予定されている。
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江差追分第46回全国大会にいってきた

北海道檜山郡江差町といってもたいがい北海道のどの辺に位置する町なのか、知らない人が多いと思う。函館から西北西にある小さな町なのだが、九月の第三金・土・日曜日になると、全国から人々がやってくる。江差追分の全国大会が開かれるのだ。函館からJR北海道の江差線に乗って、約二時間二十分。日本海に面した長い海岸線の町先にかもめが羽ばたいているような形のかもめ島があり、北の大地に張り付くように町並みが続いている。
 その昔は「江差の春は江戸にもない」といわれるような賑わいで、鰊漁が衰退期を向かえた大正時代頃から、少しずつ緩慢にその経済の主導権を函館に渡し、いまでは江差追分の故郷として有名なばかりで、これといった地場産業も無く、ついに人口も一万を割ってしまった。
 その町が八月の姥神神宮のお祭りと九月の江差追分の大会には、久しぶりに活気を取り戻す。

 私が始めて江差を訪ねたのは、昭和54年で、町の高台にある体育館が会場だった。いまは立派な文化会館が会場だが、片手に座布団を抱かえ、飲み食いする弁当を持ち、「今年の唄の出来はどうだろう」とばかりのいずれも追分に一過言持っている人たちが観客だ。会場の外では、本選に出る前に尺八とあわせて声を張り上げ練習をしている光景を見て、私は「いま本気で歌ったら本選で体力をなくしてしまうだろうに」なんて思いながら、会場に入ると、狭い会場とはいえ中は熱気でむんむん。
出る人出る人、~かもめの鳴くねにふと目をさまし あれがえぞ地のやまかいな~の追分の歌詞を
渾身の力で唄う。節回しに崩れがあると、観客は落胆とも嘲笑ともつかぬ声を上げる。
老若男女各々の人生の唄だ。追分の魅力にはまってしまった。
確かに「日本人に生まれてほんとによかった」と思わせる何かがこの唄には潜んでいる。
小さな恍惚感に浸って三十年経ってしまった。
まだ私がサラリーマン時代、夏のボーナスをもらうと、ほとんど毎年の行事のように九月初頭の越中八尾の「風の盆」と第三土日の「江差」には顔をだし、その空気を吸ってきた。何十回となく江差に行っては、歴代の優勝者の歌声を独り占めするかのように、録音させていただいてきた。数十年にわたって録音してきたものが数年前に40人もの数になり、CDも自社で発売したが、そろそろ個人のやるような仕事でもあるまいと思い、今年、その録音物と原版権を江差追分会に寄贈したところ、江差町が「善行表彰」といただけるということになって、今年の全国大会には思い出深いものになった。
今では物故された優勝者もおり、私のこの仕事がいささかでも役に立っているなら、ありがたいことだ。本来ならNHKなり、大レコード会社なり、行政がやるべき仕事だろうが、現在の経済至上主義の世の中ではおそらくできえなかった仕事かもしれない。それにしても表彰状の中に「奇特な行い」とあり、いささか面映い。
今年で46回目の大会。数多い民謡の全国大会の中でも格段に歴史が古い。
家族四人で、終了後江差からフェリーに乗り奥尻島へ行き、湯の浜温泉につかり、飛行機で函館に戻り、湯の川温泉の銭湯に浸かって温泉ずけの楽しい旅であった。

明治期の外国人

私の日本史上の興味は、有名無名を含め志を持った人々を排出した明治という時代。「江戸明治東京重ね地図」を作りながら、思いをめぐらす。
十年ほど前、新幹線で人を迎える時間があり、東京駅の博物館でジョサイア・コンドル展をやっていて覗いたことがある。コンドルは日本の建築学の父といわれる

,百瀬博教哀悼!

百瀬博教さんが死んだ。その訃報にいうべき言葉もない。本当にびっくりした。
百瀬博教さんとは、相撲・プロレス・裕次郎・東京・市川・映画・俳句・下町・演芸・芸人・珈琲などなど、キーワードが自分のモノと重なり、私は常に彼の生き方を気にしていた。
友人からの連絡によると青山の自宅の風呂場で倒れていたという。存分に自分らしく生きた百瀬さんだから、本人にとって満足の人生だったと思う。
百瀬さんは私より年上だが、いくつ上なのか正確には知らない。おそらく7,8歳兄貴の六十代半ば。六十代にしてますます盛んで活動的。六尺・二十五貫を超える大男で、若いときに市川学園相撲部でマワシを締めて鍛えたことで、体躯は逞しかった。鳥越祭りのきりりとした半纏姿が思いで深い。
いつも目深におしゃれなキャップをかぶり、きちんとしたものの云いようは上等で良質な日本人を思わせた。博学にして決して偉ぶらず、とはいえきっちりと言うべきことを言う本当に素晴らしい人だった。
週刊文春に連載された「不良ノート」のエッセイは、その文章力、記憶力、見識、すべてにわたって彼が一級の人間であったことを現している。サイデンステッカとの『私の東京』や『中年不良ノート』『詩集絹半纏』『僕の刀』『百瀬博教 自作自演の喜劇』『ANIKI』 など多くの著作本が、私の書棚に残る。最近はテレビ東京で彼を慕う若手と東京を歩く番組をやっていた。
東京の下町、特に相撲場のある両国、浅草をはじめ広く東京には造詣が深かった。鳥越祭りには『百瀬』の半纏を羽織った男たちが、御輿を担いでいた。多少周囲の担ぎ手に顰蹙をかった事もあるが、「百瀬」の神酒所をつくって親しい人たちを招待して歓待していた。私の親父が死んだときには、丁重な弔電を頂いた。小島貞二の相撲本をこよなく愛し、また息子の私の『江戸東京重ね地図』『ご存じ古今東西噺家紳士録』などの仕事にも深く理解を示してくれた。
東京や日本文化に限りない誇りと愛着心をもち、今の世の中になかなか会うことが出来なくなってしまった「大旦那」ぶりが本当に懐かしい。若気の至りで拳銃保持で刑務所に入っていた、金貸し業だとか、市川のやくざ上がりだとか、マイナスのイメージが流布されてもいるが、彼の読書量は膨大で、彼の市川のマンションに伺ったことがあるが、その蔵書には圧倒された。刑務所に入っている間に「本を読まねば生きていけない身体になってしまったよ」と地元市川の行きつけの麻生珈琲店で語っていたのがついこの間のことであった。
もっといろいろな話を聞きたかった。
アントニオ猪木と格闘技のプロデュースをやったり、山本健吉先生に師事した俳句にも造詣が深く、経済の現場からスポーツ,文学の世界までその活動範囲は幅広かった。
またひとり、上等な日本人がいなくなってしまった。ご冥福をお祈りします。


プリティ長島トップ当選

 私の住んでいる市川市での市議選の結果、ものまね芸人の「プリティ長島」さんが1万782票のダントツトップ当選。テレビで顔が売れているからとはいえ、2位の候補者のほぼ2倍の得票数。選挙も一つのイベントと考えれば何でもありなのだろうが、なんだか国会の衆愚政治の延長を見せられた感じで一言申し述べておく。
 候補者ひとりひとりはそれなりの見識と政策を持っているのだろうけれど、その人となりや主張が、これだけの情報社会の中でなかなか伝ってこない。
あわせて我々有権者も積極的にそれらを知ろうとしない。。
 だから名前の知っている人に投票しようということなのだろうが、最低限の公約は明らかにして貰いたいものだ。
 有権者が政治に無関心でシラケていることで得票率は41.3%と、わが市川市は千葉県でも最低だった。国民がもつ権利の一つ、政治家を選ぶ選挙権もビートたけしが何かに書いていたように、何らかの形で義務化しなければならない世の中になっているのではないかと思う。
宮崎県の東国原知事はよくやっているように今のところ見えますが‥‥。
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