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魁皇頑張れ

大相撲福岡場所引退まで取りざたされた大関魁皇が、勝ち越しを決めた。一安心。地元福岡のファンの声援も心強い。
魁皇は、横綱にしたかった。横綱の似合う力士だ。既に全盛時を過ぎてしまったとはいえ、今の大相撲には欠かせない力士だ。
今場所身体にサポーターもなく元気なのが何より嬉しい。
もう一花、咲かせてほしい。
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白鵬は横綱にすべき

名古屋場所も朝青龍の優勝だったが、白鵬の横綱昇進に相撲協会が待ったを掛けたのはいただけない。どう見ても千秋楽に横綱を破った力相撲に白鵬の充実振りが現れていたし、この数場所の勝ち星も昇進に申し分ない。相撲人気を盛り上げる意味でも、協会は横綱審議委員会に諮問してほしかった。雅山の十勝も大関再昇進に値する勝ち星であったと思うが如何。協会は世間に臆病になりすぎていないか。

貞友会の「ふれだいこ」に書いた私の子供時代の思い出を載録してみる。先代三保ケ関親方の思い出である。

亡父貞二と先代三保ケ関親方との付き合いは、とりわけ親しい間柄であった。
そんな親の縁をひいてか、私と澤田昇君(現三保ヶ関親方)とは両国小学校の同級生で、小学校の周辺には時津風部屋、伊勢ノ海「あるフンドシかつぎ一代記」を読むと、戦後まもなく父がスクリーンステージ社に勤めた際、新富町の会社の近くに増位山夫妻が住んでいた記述がある。深い付き合いのキッカケはどうも、その辺にあったようだ。
相撲部屋や岡野接骨医などがあって、相撲関係者に囲まれた小学校である。同じクラスには立浪部屋、湊川部屋の娘さんもいた。放課後、昇君と相撲をとって、左腕を骨折して岡野さんに担ぎ込まれたこともある。
「サーちゃん。相撲取りにならないの」
「いやだよ、相撲は」なんて、やり取りをした覚えもあるが、
彼は、水泳の選手で将来を嘱望されており、日大一中へ、私は両国中学へ進学した。
たまたま学校同士が隣り合わせで、休み時間に屋上で顔を合わせては、声を掛け合ったりしていた。
そんなある日、三保ヶ関親方は息子の昇君を連れて、ひょっこり中山の我が家を訪ねてきたことがあった。
久しぶりの昇君との出会いに、かしこまって近況を話したりしていると、
親方が「部屋を市川、船橋に移そうと思っているんだが………?」
と、父に話を始めた。
長いこと小部屋の経営の悲哀や苦労を味わっていたのだろう、親方は中山周辺の土地と環境を調べに来たのであった。市川に相撲部屋を移すという唐突な話を耳にしてしまって、私は知ってはいけない大人の世界の秘密を覗き見た気がして、妙に緊張してしまった。
親しく案内して行く父と親方の背中の後を追いながら、ひとしきり私と昇君は旧交を温めて華やいでいた。家から東へクネクネとした路地を行くと、京成東中山駅へ出る。途中、薄く色づいたトマトを呆ばりながら、畑の高台につくと、父が「この辺は土地代も安いし、蔵前の国技館まで京成一本でいける」と言った。
親方のお目当てはこの地域だったらしく、辺りを見回しながら、「うん、うん」と頷きながら、盛んに手拭いで汗をぬぐっていた。
すでに、時効になったエピソードである。
父の方から親方に声をかけたのか、親方側の表敬訪問であったのか定かでないが、この話は頓挫し、具体的な動きが無いまま時が過ぎ、北の湖、北天祐、増位山、大位山、吉王山などによって三保ヶ関部屋は全盛時代を迎える。
私はその後レコード会社に入り、昇少年、つまり増位山大志郎の歌手デビューの黒子をしたり、また私の結婚式の引き出物に彼の手形を使わせて頂いたりして、お付き合いが続いている。いまでも家の和室には墨坤鮮やかな「堅忍不抜」と書かれた三保ヶ関国秋書がかかっている。


大利根博物館

 今日、千葉県香取市(元佐原市)に、千葉県の相撲展があり相撲好き仲間と行ってきました。当日は潮来のあやめ祭りも開始され、人は賑やかあやめも美しくなかなか楽しい一日でした。
 千葉は横綱4名を輩出している相撲王国だという事をご存知ですか。見ものは江戸の無双力士『雷電』の遺品類。雷電は生涯勝率97%、たった10敗しかしていない強豪力士なのに横綱になれなかった謎の多い力士で、佐倉市臼井で余生を過し没したのです。いづれ、この雷電について報告しましょう。
 さいささかの資料も提供したので、その展示振りを見学したかえり、旧佐原市街を散策。うなぎを食べ、船で利根川まででて川風にあたり、ちょっとした『小さな旅気分でした。ちょっと足を伸ばせば、笹川繁蔵、飯岡助五郎の天保水滸伝の舞台です。ふたりとも江戸相撲の力士だったそうです。

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