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端唄=粋

古い江戸の町並みの写真を見ていると、どこかで見たことがあるというデジャヴュ既視現象のような一瞬不思議な感覚におそわれる。身の丈に合わせてゆったりと毎日を暮らす江戸の庶民達。その職業の種類は驚く程多く、多分理想的なエコロジー社会だったのではないだろうか。
 情報に敏感で、好奇心旺盛で感性豊かな人々の集まる「江戸」は、現在の東京やニューヨークと同じようなエキサイティングな「まち」だったに違いない。
 
江戸人のパワーと洒脱さの中から創られた、最も身近な室内歌曲「端唄」は、洗練された感覚と世情への洞察力で、暗号のように短い「唄」の中に、「洒脱」や「粋」を楽しむ。
 
他の音曲の旋律型をコラージュした自由な表現を持ち、博物館のように様々な音楽形式が集まってできた「江戸」を体感できる音楽、それが「端唄」ではないだろうか。

 我々を現代にいるままに「江戸」にタイム・スリップさせる音楽が「端唄」といえるかもしれない。
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つれづれ日記

齢五十七にもなると、どの会社でも一応仕事をそれなりに成し遂げ、会社卒業の準備の歳。そろそろ人生をまとめに入る年周りで、人生の節目などで感銘を受けた書籍、音楽、映画などの印象をメモとして綴っておきたいと思うようになった。もともと文章を生業としているわけではないから、雑文で結構。その都度思いつくテーマをつれづれに書いてみようと思う。
私は昭和四十六年に大学を卒業して、レコード会社に就職し、音楽ビジネスの一翼を担った経験を持つ。とはいっても、業界紙のヒットチャートをにぎわすようなジャンルの仕事ではなく、子どもモノや、企画モノ、民謡邦楽、お経、演芸ものなどのいわゆる学芸部というセクション。スターディレクターが手がけないようなジャンルの仕事ばかりをシコシコとやってた。何でも企画にしなければいけない仕事上の性格もあって、本や雑誌はいつも手放せず、以来、活字中毒のひとりになった。週刊誌、月刊誌、地域ミニコミ誌をはじめ、ちょっと興味を持った森羅万象あらゆるジャンルの書籍をチマチマと買い求めては、本棚に差し込んでおいたら、いつの間にか膨大な本がトイレにまであふれる羽目になってしまっている。
今は「東京の郷土史」江戸文化が本線といえるか。銀座、浅草、日本橋、神楽坂、地域文化コンセプトである。街の重層的な歴史を知りたいと思っている。
 比較的大きなスペースがある我が家では、書庫を私と親父の集めた本で埋めているのだが、先年親父が亡くなって、主の居なくなった書籍の目録つくりが私の土日の仕事になってしまった。なまじっか小さな会社の経営などをやっているばかりに、資金繰りだ、進捗管理だ、営業だと余分な気持ちを使うので、文章を認めるモードにならない。何時の頃からか拡散、散漫な読書生活になってしまったが、早く晴耕雨読の生活になりたいものと常々思っている。
 本はどんなジャンルも読むが、パソコンマニアル本だけは読む気がしない。ソフトの使い方だの類だが読まないから、パソコンも長いこと使っているわりには、いちいち若い人に聞かなければいけないような体たらくで、使いこなすというレベルになっていない。
何よりこの手の本は精神衛生によくないし、自由に精神を遊ばせてくれない。
 司馬遼太郎、坂口安吾、正岡容、中野翠、スタインベック、長谷川伸、落語の速記本などなどなどなど乱読、乱聴きだが、おいおい自分の軌跡を書きとめておこうと思う。そこんとこ宜しく。

大利根博物館

 今日、千葉県香取市(元佐原市)に、千葉県の相撲展があり相撲好き仲間と行ってきました。当日は潮来のあやめ祭りも開始され、人は賑やかあやめも美しくなかなか楽しい一日でした。
 千葉は横綱4名を輩出している相撲王国だという事をご存知ですか。見ものは江戸の無双力士『雷電』の遺品類。雷電は生涯勝率97%、たった10敗しかしていない強豪力士なのに横綱になれなかった謎の多い力士で、佐倉市臼井で余生を過し没したのです。いづれ、この雷電について報告しましょう。
 さいささかの資料も提供したので、その展示振りを見学したかえり、旧佐原市街を散策。うなぎを食べ、船で利根川まででて川風にあたり、ちょっとした『小さな旅気分でした。ちょっと足を伸ばせば、笹川繁蔵、飯岡助五郎の天保水滸伝の舞台です。ふたりとも江戸相撲の力士だったそうです。

ootone