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親父の背中

年も押し迫って、どの家も掃除に忙しい。
我が家でも亡父(貞二)が戦後六十余年にわたって演芸と相撲を中心に集めてきた書籍や雑誌、同人誌、チラシなどの類を整理しているので、例年になく忙しい暮れだ。
小島家の本棚は、私が会社から持ち込んだ過去30年の制作資料と、父と私の蔵書が棚をせめぎ会いとんでもない状況に立ち至っている。
亡父は、紙という紙は意地でも残すぞと思えるほど一種の保存魔で、その量たるやすさまじいの一語。実際1996年に建て直す前の古い家では、土壁が落ちてすきま風が入り、土台がかしぐほどの重さだった。
なんといっても紙の束は重いものです。
ちなみにどんなものが我が家にあるのかというと、相撲演芸の新聞切抜きはいうにおよばず、昭和三十年代の上野鈴本などのチラシや落語会のパンフレット、落語協会、落語芸術協会のガリ版時代の香番表。(これは早々に両協会にお戻しした)相撲の各場所ごとの星取り表、川柳・俳句などの同人誌バックナンバーの類、はがきや手紙類、写真類、名刺、なんでもかんでもよくもまあ、という感じ。書庫スペースがある家だから出来得たものの、狭いスペースのマンションなどでは到底こうはいくまい。
小島貞二は、投稿少年→漫画家→相撲取り→雑誌編集者→新聞記者(演芸。相撲・映画・音楽の記者クラブに在籍していた)→放送作家→もの書き業と戦前の昭和十年頃から亡くなる平成13年までバラエティ豊かな職歴と好奇心旺盛でメモ魔の性格。活躍期間が60余年と比較的長く、また手がけてきたジャンルも創世記の放送界から出版界、落語漫才を中心とした演芸界から自分も所属した相撲界、初期のプロレス、また晩年朝日新聞の千葉版に掲載中の「千葉笑い」に代表される都々逸、川柳などの笑文芸などなど、それぞれの世界の生き字引のような存在ぶりであった。落語でも相撲でも今の人が書くネタ元といえるようなものをたくさん書いてきた。そのようなタネ本といえる著作のネタ資料を目のあたりにして、ただただ呆然とするばかりだ。
とりわけすごいなあと思うことは、どの本にも何気なく付箋が貼られていたりして、読んだ形跡があることと、また、そのテーマに関連したメモがあり、贈呈された本にはその日にち、あとに連絡取るための著者住所などが、さり気なくメモられていたりする。
むかし私が子供の頃、自分が高名な方に贈ったサイン本を古本屋で見つけ、こういう失礼のないようその処分にはくれぐれも注意するように言われてきたことをフッと思い出した。
本のほかに取材ノートややり取りした手紙類・参考資料は紐でくくられている。
父の背中を見て育ったせいか、いつの間にか活字好きになってしまった私だが、この父のマメさは引き継げなかった。
 SP版のコレクターでも著名な岡田則夫さん(学生時代から書庫の整理に出入りしていた)にも手伝ってもらいながら整理をしているのだが、古今東西森羅万象の本がところ狭しと積み上げられていて、しかもそれなりに興味と情報がつながる本の山である。一冊たりとも無駄な本はない。すごいところだ。
 演芸芸能のジャンルは、東西の落語・講談・浪曲.・漫才(万歳)・ボーイズ・太神楽・色物の歌舞伎・吉本・曾我廼家喜劇、各地の俄(にわか)、民話、民謡、祭り、方言とことばのジャンルへ。艶笑ばなしは落語の小ばなしのおおもとか。俳句・川柳。浅草を始めとする東京と上方の風俗史、郷土史。関連する雑誌、機関誌、同人誌、それらのバックナンバーも…。
永井荷風、久保田万太郎、今村信雄、柳田國男、吉井勇、桃川如燕、正岡容、安藤鶴夫,三宅周太郎、村井弦斎、三田村鳶魚、矢田挿雲、曾我廼家十吾、長谷川伸、野村胡堂、古川緑波、秋田實、前田勇、宮尾しげを、石黒敬七、玉川一郎、徳川夢声、柳家三亀松、藤浦富太郎、長谷川幸延、柳家金語楼、平山濾紅、宇野信夫、笑福亭松鶴、古今亭志ん生、加太こうじ、三国一郎、彦山光三、桂米朝、橘右近、江国滋、池波正太郎、芝清之、中津悠子、小沢昭一、立川談志、ビートたけし、関山和夫などなどなどなど。
おいおい来年から紹介していく予定。暮れの手仕舞い。
みなさんよいお年を。






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「三丁目の夕日」を観て

「三丁目の夕日」を見て

過日、何気なくテレビをつけたら、昨年(?)話題になった映画「三丁目の夕日」をやっていたので、ついつい見てしまった。私にとっても懐かしいの昭和という時代風景と町並みを最近のCG技術で再現したということで話題になった映画ということは知っている。映画賞を総なめしたとか訊く。描かれている昭和30年代という時代は、今のような閉鎖的でギスギスとした社会ではなく、貧しくても活力に満ち溢れ、誰もが他人を思いやっていた。勤勉な日本人が豊かさを求め、ただただ働いていたパワフルで時代。東京タワー(昭和34年)が、燦然と辺りの町を睥睨しているのを見ると、港区辺りの下町の風景なのかしら。昭和三十年に小学校、三十六年中学、三十九年高校入学という、多感な時期を昭和三十年代とともに歩んできた私にとって、ノスタルジックな想いとともに、このような映画が多くの人々に受ける下地が、今の社会にあるのは何とも切ない想いがした。
何故、そんな印象を受けたのかとつらつら考えるに、あまりにも当たり前の、人々の温もりとか地域の繋がりが映画に描かれていて、そのようなものがうらやましくさえ感じるイマの世の中になんとも得体の知れない違和感を感じているからだと気がついた。
最新の映像技術で東京の下町の情景を再現して見せているのだが、あれこそが豊かな社会なのだと感じて観るお客さんがどのくらいいるのだろうか。
「衣食足りて志のない」今の世の中を皮相的に見てしまう性(さが)は時代のなせる業か。最後に気に留めた一文を紹介して終わります。

写真家・林忠彦さんの言葉から

六十を過ぎたら自分の今までやってきたことを伝えるというか、分けてあげるというか、次に伸びようとする人の栄養分になってゆく。六十五になったらもう自分のためにではなく、全部世のため人のために尽くすことが結局は自分のためにもなってくる。まだ自分だけのものをおっているようじゃダメですよ。自分の欲望だけにこだわっていては社会人として失格だね。