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,百瀬博教哀悼!

百瀬博教さんが死んだ。その訃報にいうべき言葉もない。本当にびっくりした。
百瀬博教さんとは、相撲・プロレス・裕次郎・東京・市川・映画・俳句・下町・演芸・芸人・珈琲などなど、キーワードが自分のモノと重なり、私は常に彼の生き方を気にしていた。
友人からの連絡によると青山の自宅の風呂場で倒れていたという。存分に自分らしく生きた百瀬さんだから、本人にとって満足の人生だったと思う。
百瀬さんは私より年上だが、いくつ上なのか正確には知らない。おそらく7,8歳兄貴の六十代半ば。六十代にしてますます盛んで活動的。六尺・二十五貫を超える大男で、若いときに市川学園相撲部でマワシを締めて鍛えたことで、体躯は逞しかった。鳥越祭りのきりりとした半纏姿が思いで深い。
いつも目深におしゃれなキャップをかぶり、きちんとしたものの云いようは上等で良質な日本人を思わせた。博学にして決して偉ぶらず、とはいえきっちりと言うべきことを言う本当に素晴らしい人だった。
週刊文春に連載された「不良ノート」のエッセイは、その文章力、記憶力、見識、すべてにわたって彼が一級の人間であったことを現している。サイデンステッカとの『私の東京』や『中年不良ノート』『詩集絹半纏』『僕の刀』『百瀬博教 自作自演の喜劇』『ANIKI』 など多くの著作本が、私の書棚に残る。最近はテレビ東京で彼を慕う若手と東京を歩く番組をやっていた。
東京の下町、特に相撲場のある両国、浅草をはじめ広く東京には造詣が深かった。鳥越祭りには『百瀬』の半纏を羽織った男たちが、御輿を担いでいた。多少周囲の担ぎ手に顰蹙をかった事もあるが、「百瀬」の神酒所をつくって親しい人たちを招待して歓待していた。私の親父が死んだときには、丁重な弔電を頂いた。小島貞二の相撲本をこよなく愛し、また息子の私の『江戸東京重ね地図』『ご存じ古今東西噺家紳士録』などの仕事にも深く理解を示してくれた。
東京や日本文化に限りない誇りと愛着心をもち、今の世の中になかなか会うことが出来なくなってしまった「大旦那」ぶりが本当に懐かしい。若気の至りで拳銃保持で刑務所に入っていた、金貸し業だとか、市川のやくざ上がりだとか、マイナスのイメージが流布されてもいるが、彼の読書量は膨大で、彼の市川のマンションに伺ったことがあるが、その蔵書には圧倒された。刑務所に入っている間に「本を読まねば生きていけない身体になってしまったよ」と地元市川の行きつけの麻生珈琲店で語っていたのがついこの間のことであった。
もっといろいろな話を聞きたかった。
アントニオ猪木と格闘技のプロデュースをやったり、山本健吉先生に師事した俳句にも造詣が深く、経済の現場からスポーツ,文学の世界までその活動範囲は幅広かった。
またひとり、上等な日本人がいなくなってしまった。ご冥福をお祈りします。


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