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江差追分第46回全国大会にいってきた

北海道檜山郡江差町といってもたいがい北海道のどの辺に位置する町なのか、知らない人が多いと思う。函館から西北西にある小さな町なのだが、九月の第三金・土・日曜日になると、全国から人々がやってくる。江差追分の全国大会が開かれるのだ。函館からJR北海道の江差線に乗って、約二時間二十分。日本海に面した長い海岸線の町先にかもめが羽ばたいているような形のかもめ島があり、北の大地に張り付くように町並みが続いている。
 その昔は「江差の春は江戸にもない」といわれるような賑わいで、鰊漁が衰退期を向かえた大正時代頃から、少しずつ緩慢にその経済の主導権を函館に渡し、いまでは江差追分の故郷として有名なばかりで、これといった地場産業も無く、ついに人口も一万を割ってしまった。
 その町が八月の姥神神宮のお祭りと九月の江差追分の大会には、久しぶりに活気を取り戻す。

 私が始めて江差を訪ねたのは、昭和54年で、町の高台にある体育館が会場だった。いまは立派な文化会館が会場だが、片手に座布団を抱かえ、飲み食いする弁当を持ち、「今年の唄の出来はどうだろう」とばかりのいずれも追分に一過言持っている人たちが観客だ。会場の外では、本選に出る前に尺八とあわせて声を張り上げ練習をしている光景を見て、私は「いま本気で歌ったら本選で体力をなくしてしまうだろうに」なんて思いながら、会場に入ると、狭い会場とはいえ中は熱気でむんむん。
出る人出る人、~かもめの鳴くねにふと目をさまし あれがえぞ地のやまかいな~の追分の歌詞を
渾身の力で唄う。節回しに崩れがあると、観客は落胆とも嘲笑ともつかぬ声を上げる。
老若男女各々の人生の唄だ。追分の魅力にはまってしまった。
確かに「日本人に生まれてほんとによかった」と思わせる何かがこの唄には潜んでいる。
小さな恍惚感に浸って三十年経ってしまった。
まだ私がサラリーマン時代、夏のボーナスをもらうと、ほとんど毎年の行事のように九月初頭の越中八尾の「風の盆」と第三土日の「江差」には顔をだし、その空気を吸ってきた。何十回となく江差に行っては、歴代の優勝者の歌声を独り占めするかのように、録音させていただいてきた。数十年にわたって録音してきたものが数年前に40人もの数になり、CDも自社で発売したが、そろそろ個人のやるような仕事でもあるまいと思い、今年、その録音物と原版権を江差追分会に寄贈したところ、江差町が「善行表彰」といただけるということになって、今年の全国大会には思い出深いものになった。
今では物故された優勝者もおり、私のこの仕事がいささかでも役に立っているなら、ありがたいことだ。本来ならNHKなり、大レコード会社なり、行政がやるべき仕事だろうが、現在の経済至上主義の世の中ではおそらくできえなかった仕事かもしれない。それにしても表彰状の中に「奇特な行い」とあり、いささか面映い。
今年で46回目の大会。数多い民謡の全国大会の中でも格段に歴史が古い。
家族四人で、終了後江差からフェリーに乗り奥尻島へ行き、湯の浜温泉につかり、飛行機で函館に戻り、湯の川温泉の銭湯に浸かって温泉ずけの楽しい旅であった。
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