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明治期の外国人

私の日本史上の興味は、有名無名を含め志を持った人々を排出した明治という時代。「江戸明治東京重ね地図」を作りながら、思いをめぐらす。
十年ほど前、新幹線で人を迎える時間があり、東京駅の博物館でジョサイア・コンドル展をやっていて覗いたことがある。コンドルは日本の建築学の父といわれる

,百瀬博教哀悼!

百瀬博教さんが死んだ。その訃報にいうべき言葉もない。本当にびっくりした。
百瀬博教さんとは、相撲・プロレス・裕次郎・東京・市川・映画・俳句・下町・演芸・芸人・珈琲などなど、キーワードが自分のモノと重なり、私は常に彼の生き方を気にしていた。
友人からの連絡によると青山の自宅の風呂場で倒れていたという。存分に自分らしく生きた百瀬さんだから、本人にとって満足の人生だったと思う。
百瀬さんは私より年上だが、いくつ上なのか正確には知らない。おそらく7,8歳兄貴の六十代半ば。六十代にしてますます盛んで活動的。六尺・二十五貫を超える大男で、若いときに市川学園相撲部でマワシを締めて鍛えたことで、体躯は逞しかった。鳥越祭りのきりりとした半纏姿が思いで深い。
いつも目深におしゃれなキャップをかぶり、きちんとしたものの云いようは上等で良質な日本人を思わせた。博学にして決して偉ぶらず、とはいえきっちりと言うべきことを言う本当に素晴らしい人だった。
週刊文春に連載された「不良ノート」のエッセイは、その文章力、記憶力、見識、すべてにわたって彼が一級の人間であったことを現している。サイデンステッカとの『私の東京』や『中年不良ノート』『詩集絹半纏』『僕の刀』『百瀬博教 自作自演の喜劇』『ANIKI』 など多くの著作本が、私の書棚に残る。最近はテレビ東京で彼を慕う若手と東京を歩く番組をやっていた。
東京の下町、特に相撲場のある両国、浅草をはじめ広く東京には造詣が深かった。鳥越祭りには『百瀬』の半纏を羽織った男たちが、御輿を担いでいた。多少周囲の担ぎ手に顰蹙をかった事もあるが、「百瀬」の神酒所をつくって親しい人たちを招待して歓待していた。私の親父が死んだときには、丁重な弔電を頂いた。小島貞二の相撲本をこよなく愛し、また息子の私の『江戸東京重ね地図』『ご存じ古今東西噺家紳士録』などの仕事にも深く理解を示してくれた。
東京や日本文化に限りない誇りと愛着心をもち、今の世の中になかなか会うことが出来なくなってしまった「大旦那」ぶりが本当に懐かしい。若気の至りで拳銃保持で刑務所に入っていた、金貸し業だとか、市川のやくざ上がりだとか、マイナスのイメージが流布されてもいるが、彼の読書量は膨大で、彼の市川のマンションに伺ったことがあるが、その蔵書には圧倒された。刑務所に入っている間に「本を読まねば生きていけない身体になってしまったよ」と地元市川の行きつけの麻生珈琲店で語っていたのがついこの間のことであった。
もっといろいろな話を聞きたかった。
アントニオ猪木と格闘技のプロデュースをやったり、山本健吉先生に師事した俳句にも造詣が深く、経済の現場からスポーツ,文学の世界までその活動範囲は幅広かった。
またひとり、上等な日本人がいなくなってしまった。ご冥福をお祈りします。


プリティ長島トップ当選

 私の住んでいる市川市での市議選の結果、ものまね芸人の「プリティ長島」さんが1万782票のダントツトップ当選。テレビで顔が売れているからとはいえ、2位の候補者のほぼ2倍の得票数。選挙も一つのイベントと考えれば何でもありなのだろうが、なんだか国会の衆愚政治の延長を見せられた感じで一言申し述べておく。
 候補者ひとりひとりはそれなりの見識と政策を持っているのだろうけれど、その人となりや主張が、これだけの情報社会の中でなかなか伝ってこない。
あわせて我々有権者も積極的にそれらを知ろうとしない。。
 だから名前の知っている人に投票しようということなのだろうが、最低限の公約は明らかにして貰いたいものだ。
 有権者が政治に無関心でシラケていることで得票率は41.3%と、わが市川市は千葉県でも最低だった。国民がもつ権利の一つ、政治家を選ぶ選挙権もビートたけしが何かに書いていたように、何らかの形で義務化しなければならない世の中になっているのではないかと思う。
宮崎県の東国原知事はよくやっているように今のところ見えますが‥‥。

重ね地図について現状報告

 明治を重ねた3層までできたが、金員を支払って下図を描いてもらった中川氏との契約更新の理不尽な揉め事があり、現状ではこの企画をこれ以上進めるのが困難な情況に立ち至ってしまった。残念な報告。
 この地図を基図にして、みんなが各年代の情報を作って、情報を共有できたら素晴らしく世の中に役立つ有意義な仕事になるはずであった。東京に限らず、横浜、大阪、京都、名古屋、福岡などの大都市も、この手法で創ることができるはずだ。この壮大な構想を今後誰かに引き継いで頂く方がいないものか。もともとこの仕事は面(地域)を広げ、年代層を重ねるという際限ない金のかかる仕事であり、資本力がなければ成り立たないことは自明の理。私どものような小資本のココロザシだけの会社ではなく、行政の仕事といってもいいのかもしれない。
 私のような江戸っ子には、自分のことはさておき他人(ひとさま)のためには一所懸命になる性癖がある。この企画を準備構想していた時が私にとって、一番楽しい時間で、実制作を始めると、進行管理や原稿書きやDBつくりと、資金繰りと、ソレは恐ろしい仕事であった。地図会社がやらないのも道理であった。この仕事が評価されて、東京に生活の場を持つ方々から応援のお手紙をたくさん頂いたのが何より嬉しかった。
 人間は一人では生きられない。持ちつ持たれつの、そういうたおやかな人間関係があることで世の中が支えられ、成り立っていく。一人の人間の欲望に振り回されてしまったが、本企画でやりたかったことは、30年〜40年前の夢のような良き時代、良き風景、良き人間たちを心に刻みながら、穏やでホッとする人間たちの交歓や希望をこの地図にとどめておきたかったのである。
拝金社会の一つの断面なのだろう。

最後に
江戸東京重ね地図のあとがきを紹介させてください。

 パソコンソフトの企画者がパソコン嫌いを宣言するとびっくりされるだろうが、実際コンピュータは、私のような右脳派、非論理アナログの側の人間からすると、まったくもって不愉快な道具だ。大枚何十万も出して買ったものが、数ヶ月もすると、機能アップしたうえに値段までもが安くなった新機種がでてくることになる。二、三年もすると、使っているマシーンはもう何世代も前の機種となって陳腐化し、新しいソフトが使えないはめになる。メモリーがどうの、ハードディスクの空き容量がどうの、OSがどうのとまったくチンプンカンプン。パソコン操作に精通していない人間には魑魅魍魎の世界にわけいってしまう。クリック、ドラッグ、インターフェイス、デバイス、プロパティ、ドライバー……などなど、日本人には日本語で説明しろ、と声を大にして言いたい。
        <中略>
 この企画の発想は、江戸、明治、大正、昭和戦前、戦後四十年代、昭和六十年代、平成という幾つもの時代軸から東京という巨大都市の変遷を見ることができないだろうかという視点からスタートした。バブルがはじけ、虫食い状況になってしまった都心部の街並みを見るにつけ、それぞれの時代の街並み地図を書籍より検索性などで優れているマルチメディアで記録しておけば、後世に役立つ地図が残せるのではないかという意図なのだ。
 相撲人気で賑う両国の国技館や隣接する江戸東京博物館はつい二十年前、総武線両国駅の広大な操車場で、遡ること江戸の昔は幕府の御米蔵や大名屋敷であったというようなことは、郷土史家ならいざしらず、一般の人々はほとんど知ることがない。
 こういう昔の街の様子を知りたいという興味は、東京に限らず都市に住む住民なら誰でもが抱く自然な欲求に違いない。
「あなたの職場、学校、住まいの昔がわかる」という副題を冠したのはそういう興味に答えていますよ、という制作者のささやかなひとりごと。
地図は無限の情報源だ。
 千代田区を代表する麹町は十三丁目まであった古町で、その町名の由来は?江戸の各々の町がどういう歴史で現在に至っているのか。東京を代表する浅草寺や増上寺の広さは昔のままなのか、不忍池の周りに馬場が在ったのは本当なのか。東京を縦横につなぐ往還道路は、いつ頃、川や堀を暗渠にして通ったのだろうか。山手線や中央線などの鉄道はいつ敷設され、いつの時代に拡張されていったのか。路面電車はいつなくなってしまったのか。私が高校生だった昭和三十九年の東京オリンピックを境に、東京の街並みは大きく変貌してしまった。街のあちこちが掘り起こされ、道は拡幅され、日本橋の上に高速道路を通した愚挙が行われた。町名変更が盛んに行われたのも確かその頃だったように思う。私的な思い出の数々に、良くも悪くも東京という街のバイタリティを思わざるをえない。
 興味尽きない地勢情報と歴史を関連(リンク)付けることで、幾倍もの地図を見る楽しみを得ることが出来る。それこそが、マルチメディアの楽しさではないか。時代小説の舞台を重ね地図上で散策することで、小説の主人公をより身近に感じることもできれば、江戸文化の豊穣さも感じ入る。当然、地図のランドマークをクリックしながら、それに纏わる絵画や写真、解説文などで地図をより充実した資料にすることができる。
      <中略>
準備した『江戸名所図会』、広重の『江戸百景』、北斎の『絵本隅田川両岸一覧』、『吉原郭内地図』などの絵画資料や、地点に纏わる落語などの音声資料はデータ圧縮技術を使っても紹介することができなかった。明治、大正、昭和との重ね作業と併せて、次回の大容量DVDメディアに企画をゆずらざるを得なかった。
 しかしながら、手前味噌ではあるが時代を透かし見る江戸と現代の二層の重ね地図が出来たことは画期的なことではないだろうか。永井荷風の『日和下駄』、矢田挿雲の『江戸から東京へ』をはじめとする古い東京を紹介する名著と池波正太郎、藤沢周平、山本周五郎の時代小説の世界を21世紀の新しいメディアで体感できる日はそう遠くないことを皆さんにお約束する。この企画をスタートした三年前には、DVD-ROMのマーケットは及びもつかなかったが、劇的なパソコン市場の進歩で、将来紹介できる企画の内容と幅が、格段に拡がったように感じている。
この『江戸東京重ね地図』を発展途上の企画として末永く楽しんでいただきたい。

スローライフ 南小谷炉辺閑談 

元旦も落ちついて平常の生活に戻ろうとしている10日、長野南小谷の知人宅でこの上ない時間をすごすことが出来ました。囲炉裏のある民家で、その家の主人が贅を尽くした湯船に浸って、普段飲めない酒を少しいただいたほろ酔いで、丸橋忠弥じゃないけれど「こいつぁー春から縁起がいいワイ」の気分でした。姫川の雪景色を目のあたりにして、持参した矢田挿雲」「江戸から東京へ」(中公文庫’75)2−5の浅草・本所を読了。いつ読んでも新しくて面白い。どこからでも読み進めるからちょうど良い。以前読み飛ばしたエピソードに時間の移ろいを忘れる贅沢さ。そういえば、矢田挿雲は、その晩年私と同じ市川に住んでいたことまで思い出し、あの膨大な江戸東京の資料は、今どうしたのかとどうでもいいことを思ったり、ひと時の満たされた幸福を味わいました。
 
 人里はなれた自然の静寂の中では人間誰しも抱く感慨ですが、悠揚と流れる時間が無用なようでいて、とても密度の濃い一期一会の時間に思え、年の始めに抱く、わが身の来し方行く末をしみじみと考えるのでした。
 人類は高度な文明を発達させ、その巨大なエネルギーと犠牲を人類に強いた結果、消滅していった歴史を持っています。
マヤのマチュピチュやインダスのハラッパ、エジプト、どの文明も歴史の必然の中に消えていった。古代の賢者たちは人類の未来を諦観し、文明とは切り離された自然の悠々たる営みの中に、人間を返すことを選択してきたのではないのか、その結果いくつかの文明がなぞのように消えていったのではないかと思うのです。
現代のわれわれの暮らし方が、このままの消費文明を続けた場合、地球はあと150年も持たないと云われていますが、われわれ自身にとっても、また未来の人類にとっても、今の社会的なスピードをいったん緩めておく必要があるように思います。
どうも書き出しのイメージと締めの内容がワープする文章になるなぁ。