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重ね地図について現状報告

 明治を重ねた3層までできたが、金員を支払って下図を描いてもらった中川氏との契約更新の理不尽な揉め事があり、現状ではこの企画をこれ以上進めるのが困難な情況に立ち至ってしまった。残念な報告。
 この地図を基図にして、みんなが各年代の情報を作って、情報を共有できたら素晴らしく世の中に役立つ有意義な仕事になるはずであった。東京に限らず、横浜、大阪、京都、名古屋、福岡などの大都市も、この手法で創ることができるはずだ。この壮大な構想を今後誰かに引き継いで頂く方がいないものか。もともとこの仕事は面(地域)を広げ、年代層を重ねるという際限ない金のかかる仕事であり、資本力がなければ成り立たないことは自明の理。私どものような小資本のココロザシだけの会社ではなく、行政の仕事といってもいいのかもしれない。
 私のような江戸っ子には、自分のことはさておき他人(ひとさま)のためには一所懸命になる性癖がある。この企画を準備構想していた時が私にとって、一番楽しい時間で、実制作を始めると、進行管理や原稿書きやDBつくりと、資金繰りと、ソレは恐ろしい仕事であった。地図会社がやらないのも道理であった。この仕事が評価されて、東京に生活の場を持つ方々から応援のお手紙をたくさん頂いたのが何より嬉しかった。
 人間は一人では生きられない。持ちつ持たれつの、そういうたおやかな人間関係があることで世の中が支えられ、成り立っていく。一人の人間の欲望に振り回されてしまったが、本企画でやりたかったことは、30年~40年前の夢のような良き時代、良き風景、良き人間たちを心に刻みながら、穏やでホッとする人間たちの交歓や希望をこの地図にとどめておきたかったのである。
拝金社会の一つの断面なのだろう。

最後に
江戸東京重ね地図のあとがきを紹介させてください。

 パソコンソフトの企画者がパソコン嫌いを宣言するとびっくりされるだろうが、実際コンピュータは、私のような右脳派、非論理アナログの側の人間からすると、まったくもって不愉快な道具だ。大枚何十万も出して買ったものが、数ヶ月もすると、機能アップしたうえに値段までもが安くなった新機種がでてくることになる。二、三年もすると、使っているマシーンはもう何世代も前の機種となって陳腐化し、新しいソフトが使えないはめになる。メモリーがどうの、ハードディスクの空き容量がどうの、OSがどうのとまったくチンプンカンプン。パソコン操作に精通していない人間には魑魅魍魎の世界にわけいってしまう。クリック、ドラッグ、インターフェイス、デバイス、プロパティ、ドライバー……などなど、日本人には日本語で説明しろ、と声を大にして言いたい。
        <中略>
 この企画の発想は、江戸、明治、大正、昭和戦前、戦後四十年代、昭和六十年代、平成という幾つもの時代軸から東京という巨大都市の変遷を見ることができないだろうかという視点からスタートした。バブルがはじけ、虫食い状況になってしまった都心部の街並みを見るにつけ、それぞれの時代の街並み地図を書籍より検索性などで優れているマルチメディアで記録しておけば、後世に役立つ地図が残せるのではないかという意図なのだ。
 相撲人気で賑う両国の国技館や隣接する江戸東京博物館はつい二十年前、総武線両国駅の広大な操車場で、遡ること江戸の昔は幕府の御米蔵や大名屋敷であったというようなことは、郷土史家ならいざしらず、一般の人々はほとんど知ることがない。
 こういう昔の街の様子を知りたいという興味は、東京に限らず都市に住む住民なら誰でもが抱く自然な欲求に違いない。
「あなたの職場、学校、住まいの昔がわかる」という副題を冠したのはそういう興味に答えていますよ、という制作者のささやかなひとりごと。
地図は無限の情報源だ。
 千代田区を代表する麹町は十三丁目まであった古町で、その町名の由来は?江戸の各々の町がどういう歴史で現在に至っているのか。東京を代表する浅草寺や増上寺の広さは昔のままなのか、不忍池の周りに馬場が在ったのは本当なのか。東京を縦横につなぐ往還道路は、いつ頃、川や堀を暗渠にして通ったのだろうか。山手線や中央線などの鉄道はいつ敷設され、いつの時代に拡張されていったのか。路面電車はいつなくなってしまったのか。私が高校生だった昭和三十九年の東京オリンピックを境に、東京の街並みは大きく変貌してしまった。街のあちこちが掘り起こされ、道は拡幅され、日本橋の上に高速道路を通した愚挙が行われた。町名変更が盛んに行われたのも確かその頃だったように思う。私的な思い出の数々に、良くも悪くも東京という街のバイタリティを思わざるをえない。
 興味尽きない地勢情報と歴史を関連(リンク)付けることで、幾倍もの地図を見る楽しみを得ることが出来る。それこそが、マルチメディアの楽しさではないか。時代小説の舞台を重ね地図上で散策することで、小説の主人公をより身近に感じることもできれば、江戸文化の豊穣さも感じ入る。当然、地図のランドマークをクリックしながら、それに纏わる絵画や写真、解説文などで地図をより充実した資料にすることができる。
      <中略>
準備した『江戸名所図会』、広重の『江戸百景』、北斎の『絵本隅田川両岸一覧』、『吉原郭内地図』などの絵画資料や、地点に纏わる落語などの音声資料はデータ圧縮技術を使っても紹介することができなかった。明治、大正、昭和との重ね作業と併せて、次回の大容量DVDメディアに企画をゆずらざるを得なかった。
 しかしながら、手前味噌ではあるが時代を透かし見る江戸と現代の二層の重ね地図が出来たことは画期的なことではないだろうか。永井荷風の『日和下駄』、矢田挿雲の『江戸から東京へ』をはじめとする古い東京を紹介する名著と池波正太郎、藤沢周平、山本周五郎の時代小説の世界を21世紀の新しいメディアで体感できる日はそう遠くないことを皆さんにお約束する。この企画をスタートした三年前には、DVD-ROMのマーケットは及びもつかなかったが、劇的なパソコン市場の進歩で、将来紹介できる企画の内容と幅が、格段に拡がったように感じている。
この『江戸東京重ね地図』を発展途上の企画として末永く楽しんでいただきたい。

スローライフ 南小谷炉辺閑談 

元旦も落ちついて平常の生活に戻ろうとしている10日、長野南小谷の知人宅でこの上ない時間をすごすことが出来ました。囲炉裏のある民家で、その家の主人が贅を尽くした湯船に浸って、普段飲めない酒を少しいただいたほろ酔いで、丸橋忠弥じゃないけれど「こいつぁー春から縁起がいいワイ」の気分でした。姫川の雪景色を目のあたりにして、持参した矢田挿雲」「江戸から東京へ」(中公文庫’75)2-5の浅草・本所を読了。いつ読んでも新しくて面白い。どこからでも読み進めるからちょうど良い。以前読み飛ばしたエピソードに時間の移ろいを忘れる贅沢さ。そういえば、矢田挿雲は、その晩年私と同じ市川に住んでいたことまで思い出し、あの膨大な江戸東京の資料は、今どうしたのかとどうでもいいことを思ったり、ひと時の満たされた幸福を味わいました。
 
 人里はなれた自然の静寂の中では人間誰しも抱く感慨ですが、悠揚と流れる時間が無用なようでいて、とても密度の濃い一期一会の時間に思え、年の始めに抱く、わが身の来し方行く末をしみじみと考えるのでした。
 人類は高度な文明を発達させ、その巨大なエネルギーと犠牲を人類に強いた結果、消滅していった歴史を持っています。
マヤのマチュピチュやインダスのハラッパ、エジプト、どの文明も歴史の必然の中に消えていった。古代の賢者たちは人類の未来を諦観し、文明とは切り離された自然の悠々たる営みの中に、人間を返すことを選択してきたのではないのか、その結果いくつかの文明がなぞのように消えていったのではないかと思うのです。
現代のわれわれの暮らし方が、このままの消費文明を続けた場合、地球はあと150年も持たないと云われていますが、われわれ自身にとっても、また未来の人類にとっても、今の社会的なスピードをいったん緩めておく必要があるように思います。
どうも書き出しのイメージと締めの内容がワープする文章になるなぁ。

「ある明治人の記録 会津人柴 五郎の遺書」を読んで

いささか厄介な案件で市谷の弁護士事務所へ。
私のような何の背景を持たないフリープロデューサーの仕事は、人間の質を見分け、選りすぐることがもっとも大切で、仕事の上で何より重要なことで、その第六感を誤ると、思わぬ打撃を受け企画が狂い、無に帰してしまうことになります。いま自分の心血を注いだ企みが、大きく狂う瀬戸際にあり、そのことで弁護士さんとの時間を持ったわけ。
そんな問題を抱えながら、この正月に読んだ飛び切りの一冊を紹介します。
「ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書」石光真人編著(中公新書 252)。」
 昨年、会津若松を訪れた際、歴史の間で理不尽な扱いを受けてきた会津の歴史を改めて知り、駅の本屋で「愚直に生きる 幕末列伝・敗者の美学」早乙女貢著(集英社刊04)「会津落城 戊辰戦争最大の悲劇」星亮一著(中公新書05)を買い求め、帰りの新幹線の中で一気に読み、深い感銘を受けた余韻の醒めないうちに、自宅の書庫の整理の際、「裏切り 戊辰、新潟港陥落す」中島欣也著(恒文社92)、「魚沼の明治維新」磯部定冶著(恒文社91)とあわせ上記の会津関連書を見つけ出した。
 柴(しば)五郎翁は会津上級節の五男として生まれ、一族に多くの犠牲者を出している。落城後、俘虜として江戸に収容、後に下北半島の火山灰地に移封され、悲惨な飢餓生活を続けた。薩長藩閥政治が威信を飾り立てた歴史からまったく抹殺された暗黒の一節を書き留めている。
後年陸軍大将、軍事参議官になり昭和20年、87歳で没。血涙のにじんだ長いこと封印されてきたこの遺文を、編著者の石光真人氏が筆写し、構成された一級の会津秘史。読後、上等な感動をいただけます。
学生時代司馬遼太郎の「峠」を読んで以降、戊辰戦争の真実にふれ深く感動した。
正月「白虎隊」のドラマをやっていたようだが、このような資料が生かされたのだろうか。



横綱朝青龍優勝オメデトウ

 初場所は横綱朝青龍の優勝で終わった。当然過ぎる結果ではあるが、26歳の年齢を考えると、歴代一位の大鵬の32回優勝を破ること間違いなさそうだ。貴乃花は最後は怪我で泣いたが、朝青龍は怪我の心配も今のところ全くなし。
 あのにらみつける目つきの鋭さが、モンゴル人という差別的な見方とあいまって人気がいまいちであったが、ここまで強いとただひたすら頷くしかあるまい。私はファンです。見事な充実振りで、この横綱を超える力士は当座考えられない。
 栃若、柏鵬、輪湖といつの時代にも同じくらいの実力力士がいるものだが、朝青龍には見当たらないのも彼の優勝回数を考える場合、有利なのかもしれない。(ライバルがいないということは長期的には不幸なことだが)
 それにしても、朝青龍の相撲にかかる懸賞の多さはどういうことなのか。いつも独り占めで給料を超える稼ぎだろう。拍鵬時代に24本だか数えたことがあるが、それを雄に超える数だ。
朝青龍を脅かす日本人力士よ、早く出でよ。
それにしても魁皇の横綱土俵入りは、さずがに無理でしょうね。、

もったいない

朝起きて朝刊を開くと、ばさっと広告の束がおちた。何気なく見るとパチンコ屋の新装開店、スーパーの安売り、分譲マンションなどの案内である。新聞の折り込み広告の量は、最近とみに多くなった気がする。テレビやインターネットなど現代では強力な宣伝手法が多い中、新聞での広告効果はどのくらい訴求できるのだろうか。私など一通り新聞を読むと、古紙回収の束にすぐまとめることにしている。我が家では折り込みの紙類はほとんど見たことがないが、女房は重宝しているのだろうか。いささかもったいなくはないのか。
もったいないといえば、街を歩いて気になる無料誌の多さ。R25などの就職誌やらクーポンつきの地域誌の類だが、あれものすごい資源の無駄使いなのではないか。ちょいと読んですぐ捨てるあれである。昔NTTのタウンページが日本の紙の使用量の1%にあたると聞いたことがあるが、確かに家にあってもほとんど使わないもので、最近はどうなのだろうか。資源の無駄使いという観点でいうと最近気になるものだ。
それと常々気になっている無駄使いのひとつに、パン屋でのパン一つ一つをいれる透明の袋。他のパンに味が移るということでいつの頃からかそうなったのだろうが、私はパンを買うときにいちいち袋に小分けしなくても良いといって買っている。マニアルでなれた売り子の女の子などキョトンとしているが、どうせすぐ食べてしまうもの、石油資源の無駄と常々思っていたひとつなのでこの機会に書いてしまった。
われわれの想像をはるかに超えるスピードで地球が痛めつけられている様子を、米元副大統領ゴアさんがさかんに啓蒙している。
われわれが死んだあとの2050年には、海面が6メートルも上がるというが、にわかに信じられないとはいうものの、われわれ自身の生活をみんなが根本から見直さねばならない。